ここではパラオの観光と食事についてアップしていきます。
パラオでの観光は個人でできないことばかり。
現地ツアーをセレクトして色々なジャンルを参加することがことが効率よく楽しめると思います。
トラブル編でお世話になったインパックさん。
ドイは元々お願いしていた現地ツアーだけでなく、食事・レンタカー等ほとんどをIMPACさんにお願いしたこともあって安心して楽しむことができました。
皆さん、パラオではインパックさんが本当におススメです。
こんな一人のオジさんにも
大勢いるなかのお客さんってよりも、あなたの為に頑張ってお応えします!って感じが熱く伝わる対応の数々はとっても心強かったです。
ということでインパックさんのツアー
現地ツアー初日は海を堪能!
ボートで色々なポイントを回りました。
まずはパラオといえば絶対にテレビに出てくるミルキーウェイでの泥パック。
この泥はかなり美肌効果が期待できるとのことです。
スタッフさんが海から泥を運んできて塗っていきます。
美肌効果。調子に乗ってつけすぎました。
スタッフさんが撮ってくれた写真は少し恥ずかしくってなんだか怖い印象に。
その後シュノーケリングを2か所で。
こんなきれいな海がずっと続いているのだからびっくりです。
ドイ史上、ベストオブベストな海の色にテンション上がります。
海の崖になっているところでのシュノーケリングは国内では見たことがない景色と魚の群れをみることができ嬉しかったです。
そういえばサメも居ましたね。
つづいてジャーマンチャネルと呼ばれる場所。
内海と外海をつないでいる水路でダイビングスポットとして人気を集めているそうです。パラオで唯一マンタウォッチングができます。
個人的には様々な海の色を一望できたことが楽しかったです。
お昼休憩はカープ島に立ち寄りバーベキューランチでのんびり。
余談ですが、カープ島。
広島カープ好きの日本人が所有する島だとかネットに書いてました。
その他にもパラオにはアントニオ猪木さん所有の【イノキ島】があるとのことです。
私はというと
バーベキューランチに人生初のハンモックでついつい熟睡しすぎて写真は撮れず。
さらに
ボートが出航したのも知らずw
出航してすぐに気づいたスタッフさんが慌てて走って【すみませーん!】ってやってきました。
本当にすみません。こっちのほうがスミマセンでした。
そして最後に立ち寄ったのはロングビーチ。
干潮の時だけ出現する幻のビーチ。
日本にも久米島や与論島などにもありますよね。
スタッフさん、左は日本人で右はフィリピン人
いかにも海の男っぽくてカッコいいです!
全ての行程を終え桟橋につく前に戦争遺構を見せてくださいました。
中心部コロール島に残る大砲跡。
パラオでは法律で戦争遺構はそのままにしておかなくてはならないとのことで今でも第2次世界大戦の跡があちこちに残っています。
それを学んだ観光2日目。
コロール島から1時間ボートに乗ってペリリュー島に行ってきました。
ペリリュー島の戦い。
第2次世界大戦では超有名です。
詳しくはこちら→https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9A%E3%83%AA%E3%83%AA%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
島では現地でダイビングやビーチリゾートを営むマユミさんが案内してくださいました。
弾薬庫跡。アメリカ軍の診療所としても使っていたとか。
今はペリリュー島の戦いの資料館として色々な展示物がありました。
ジャングルの中には海軍指令室跡。
この手すりの造りや床を見ると、とても頑丈で気品があった建物だったと想像してしまいます。
爆弾投下で破壊されてるところ等生々しいものもありました。
建物の裏手には防空壕が。
ついつい入りたくなっちゃいます。
薄暗くて天井が低かったです。
日本軍の戦車が残っていました。
三菱製の三人乗り戦車とのことで見てみると、思ったより小さい印象です。
アメリカ軍が進出してきたオレンジビーチです。
オレンジビーチの由来は
日本:青い海が戦闘により血だらけでオレンジ色になったことからオレンジビーチ
アメリカ:作戦を立てるためにオレンジ・ホワイトなどビーチに仮称をつけていたことから
マユミさん曰くアメリカの方が本当ではないか、とのことでした。
ちょうどこの時の空は青くとってもきもちよかったです。
アメリカ人の慰霊碑とアメリカ軍墓地があった場所です。
アメリカ人の遺骨は全てアメリカ本土に帰っていったとのことです。
日本はまだまだ遺骨収集を政府が率先して行っているとのことでした。
2015年に天皇陛下が訪れた戦没者慰霊の碑。
天皇陛下が訪問された時のお話や慰霊の碑に込められた思いを聞くと、熱いものがこみ上げてきます。
ドイもここで一礼。
この辺からドイの心に心境の変化が現れてきました。
それはまた後程。
お昼ご飯を食べる休憩所付近には天皇陛下が休憩された建物が今も残っております。
中にはその時のご様子をしることができる写真の展示の数々。
お昼からもまだまだ続きます。
アメリカ軍がオレンジビーチから上陸した時に使用していた戦車。
さっきの日本のよりも1.5倍増しで大きい印象です。
この場所は日本人が捕虜となって収容されてた場所なのだとか。
そのすぐ上には砲台がありました。
この砲台とは反対側からアメリカ軍が攻めてきたらしいので使用されなかった、とのことです。
ペリリュー神社。
天皇陛下と皇后陛下のお言葉がありました。
ペリリュー神社から見晴らしのいい場所にいってから帰り道。
山道を歩くのですが、普通に戦時中の物がゴロゴロあるから驚きです。
この辺りは不発弾がまだ残っているので立ち入り制限があるとのことでした。
ここには以前日本統治時代に作った橋があり隣の島とつながっていたのだとか。
最後は千人洞窟と言われる防空壕に。
中には酒やビールの空き瓶だらけ。そんな頻繁に酒盛りしていたとは考えにくいですが戦の中の癒しだったのかもしれません。
ペリリュー島の戦いでは病院としても使用していたのだとか。
1,000人は収容できるからとのことで命名されたようです。
現地ガイドのマユミさん
ハスキーボイスとどこか異国チックな雰囲気はアニメやドラマに出てきそうなカッコいいお方。
この方の一言がドイの心に後々響くことになりました。
それもまた後程・・・
今回は引っ張りますw
ドイは元々地元でも戦争遺構や明治大正昭和初期の建物に興味があって気が向いたときにはひとりでフラッと探しに行く、そんな男です。
だからパラオはドイにとって大好物が広がっています。
ペリリュー島だけでなくコロール島にも。
特に日本統治時代の建物等は見るだけで胸が高鳴ります。
出発前に調べてダウンロードしたコロール島内に残る日本統治時代の建物マップを片手に
旧南洋庁舎。統治時代、パラオは南洋諸島の中心地だったと言われております。
昌南倶楽部(娯楽施設)跡の門柱。
旧電信所発電室
南洋ホテルのエントランス部分。
現在は民家になってます。
しかし、エントランス部分だけ切り取って使ってるってなんだかおもしろいです。
旧観測所。
現在はパラオ歴史博物館です。
旅にでるとできる限りその土地の博物館に行くように心がけています。
パラオの歴史と日本統治時代について学ぶことができました。
南洋神社の門柱。
南洋神社は現存しているそうですが民家の中にあるとのことで本殿までにはたどり着きませんでした。
まだまだあるのですが、長くなりすぎても悪いので。
パラオは日本の免許でレンタカーを借りて運転できるとのことで、
人生初の右車線を体験!
そしてせっかくだからと自撮りしてみたら
カメラから車まで離れすぎててこの絵図にww
なかなかうまくいきません。
パラオは全く信号が無いので車同士譲り合って通行しています。
宿の北側
そして宿の南側
メインストリートと名付けられておりますが基本は1車線で速度もゆるやかです。
その時一緒に撮った写真は宿の隣の中国人マッサージのお店。
客引きのお姉さんたちが廻りを見渡しています。
普通のマッサージにしては少し違った雰囲気が漂う店でした。
話は戻して
だから右車線は慣れないけれど周りに優しい運転スタイルなので焦ることなく溶け込むことができました。
でも、一度だけ逆走してしまって対向車が冷や冷やしてました😢
ドライブで色々と行けたのはよかったです。
首都の国会議事堂をみることができました。
チャレンジは必要ですね。
そう恒例の
食事のほうもチャレンジしました。
コウモリのスープです。
【フルーツバット】と呼ばれる料理です。
コウモリはフルーツを食べる習慣があるらしくとても健康にいいのだとか。
これまで旅では犬とか山羊とかクサヤとかいろいろ食べてきましたが
今回は少しハードルが高かったのが、これを自分で解体しなければならないところ。
身と頭の皮だけはお店で剥いでくれたのですがそれ以外は全てセルフ。
思い出すだけでもきついですが
なぜコウモリはダメで魚なら大丈夫なのか、鶏肉なら大丈夫なのか。
それではコウモリに申し訳ないではないか!
と言い聞かせ頑張りました。
こうなりました。
食べると、鶏肉に近いけどうまみ?臭み?は違ってスープとの相性が良くとても美味しかったです。
コウモリをはじめ毎晩の食事はINPACさんの系列店の鳥鳥とジャイブレストランで酒盛りをしました。
森崎さんおススメのカニ。味が濃厚で美味しかったです。
シンプルだけど美味しいカンクンのゴマみそ和え。
毎食欠かさず食べた忘れられない逸品。
タロイモコロッケはクセのある風味と後に広がるうまみが絶妙でした。
ポキ?マグロのづけのようなものです。これを食べたときはテンションが上がりました。
パラオには郷土料理というものがあまり存在しないのか、そしてローカルの人たちは外食をあまりしないのか、外食の殆どがその他の国の料理屋さんばかりでした。日本料理も多かったですよ。
左がマドンナ森崎さん、真ん中が半田さん。
半田さんとはビーチツアーのピックアップ時にお会いして同じホテルということもあって色々とお話させて頂きました。
ツアーに出発するまでの間と、夕方たまたまホテルのフロントで再会し私のバドミントンにも同行してくださって写真を撮ってもらったり通訳して頂いたり、本当にありがとうございました。
カッコいい大人の男性でした。
話し方や服装、生きているセンスとでも言うのでしょうか、素敵です。
ああ、ドイもこんな男性にいつかなれるかな、憧れますね。
さらに後からネットで検索すると著名な方だったこともわかり尚更です。
そういうところ、雰囲気が漂ってたけど決して自分からは語らない。
カッコいいな。
ダメだな、、、ドイにはまだまだだな。
こんな素敵な方と一緒にワインやビールで食事できたこと
思い出になりました。
旅先ではこれまで縁あって、たくさんの方々と出会いお酒を呑んできました。
縁を感じて生きていくとこれからの人生にも楽しみや味わいが広がってきます。
あの時、あの地で会った方といつかどこかでバッタリと。
そう思うと人生にはこんなロマンがあった方が数倍楽しい。
旅で出会った皆さま。
ドイはこんな思いです。またどこかでお会いできることを楽しみにしております。
さて次は今回の旅をまとめる~考える編~です。
→https://www.totos.or.jp/blog/?p=1509
ぜひ最後までお付き合いください。