一人旅、久々のマドンナ登場です。
マドンナ=旅の中で特に輝いていた女性をピックアップしています。
今回はもちろんインパックの森崎さんでした。
朝から夜遅くまでずっと仕事の森崎さん。
旅の始まりが森崎さんなら
朝のツアー参加時に森崎さん。
夜の食事するお店でも森崎さん。
そして最終日の空港まで森崎さん。
(笑)
お世話になりすぎやろww
【世界ナゼここに日本人?】そんな番組ありますが、本当にこのリアルバージョンでした。
自分が森崎さんにお会いするまでのトラブルも番組的なら森崎さんの一生懸命にパラオで生きる様は間違いなく番組的です。
滞在中は色々とパラオでの相談にも乗っていただき、初日に鳥鳥で助けを求めていなかったらこの旅はどうなっていたことやら。
そんな森崎さんが私に言った言葉が頭から離れません。
【国際貢献は1回やっただけでは意味ありませんよ】
今回はこれがポイントになります。
これまで一人旅は思い付くまま気の向くままにやってきました。
その土地土地で出会う方々とのバドミントン。心のどこかにTOTOS土居が残ってもらえたらいいな、くらいのノリでした。
話は少し寄り道します。
3月4月の喧騒の中
【TOTOSはなぜここまで成長して来れたのか?】
ずっと考えてきました。
最初は
【土居が平均的な男だから】
が答えでした。
TOTOSの運営は土居が中心に動いているのは皆さんご存知かと思いますが、土居は現場の指導・事務局、そしてプレーヤーとして、どれかに片寄ることなく平均して行うことができる中性的な存在だと自分では認識していました。
指導にしたって私なんかよりもとても優れた方はまわりに沢山いますし、事務処理にしたってパソコンの扱いが上手な方や経理が得意な方も
いっぱいいます。イベントの進行などもより優れた方が居ると思います。
そういった方々を雇用するとなると、それなりに費用が発生するので今みたいな安値で各事業を実施できません。
土居が中性的にすべてを平均的にこなしているから安値でそこそこの事業を生み出していっているのだと思っていました。
自分のバドミントンプレースタイルも何か特別な技術があるわけでもなく全体をチャートで表すと平均的なアベレージな気がします。
そう思ってました、3月迄は。
4月。
あらためてTOTOSの各事業を振り返ったり今年の計画を見据えたときに思ったのは
そっか、土居にはバドミントンに対する思いの深さと広さが大きいという特殊能力?があったからここまできたのかと、気づきました。
これまで、TOTOSが実施している各事業は土居以外にも、他の人がその気になれば自分以上のことをする人ばかり居るものだと思っていました。
たまたま土居がバドミントンで雇用されるようになったから色々なことにチャレンジできる。ほかの人も同じ境遇なら同じこと以上のことをやるはず、そう思っていました。
だけど、一概にそうでもないのだということに周囲の皆さんの活動や土居を振り返った時に気が付きました。
それに気づいてから考え出したのが
【キチンと形を残さないとね】
これまで土居が歳老いて倒れた時がTOTOSの終わり、終焉だと思い活動してきましたが
せっかくこうやって作ってきて、参加する方々が沢山いて喜んでもらえて
各練習会場でそういった風景を見ていくと
後世に受け継いでもらえるように組織していこうと、思いはじめたのです。
そうなると、土居もTOTOSとは違った別の人生を歩むことも可能です。
違った人生か。
これまで生活に余裕がない(時間・お金)人生を送ってきたから、その違った人生とやらでは余裕ある日々を送りたいかな。
そんな別の人生の希望も見出せるようになり人生のメリハリがついた考えになり始めました。
話は戻って、森崎さんの
【国際貢献は1回やっただけでは意味ありませんよ】
ここでリンクされます。
さらに今回は日本とパラオの統治時代から今日までの友好関係。
統治時代はもしかしたら今よりもずっと発展していたようにも思えます。
パラオの至る所でこのようなODA開発援助の表記がありました。
以前からバドミントンで国際貢献を見据えていた自分。
青年海外協力隊にも少し興味がありました。
これからのパラオと日本の友好関係にバドミントンをツールにアシストできれば。
またパラオのバドミントンはお世辞にも発展しているとは言える状況ではありませんでした。
シューズはバドミントン用ではないものがほとんど、シャトルも試合用にしてはレベルは落ちます。
ガットのテンションも高い音出す人は確かいなかったように思えます。そもそもバドミントン用品が売っていないのです。
レベルは一部で上手な方もいましたが大半が初心者初級者といった感じです。パラオ№1にしても私に負ける位だから国家代表で海外遠征ってこともないと思います。
バドミントンは普及されていないのが現状です。
ペリリュー島のガイド・マユミさんが
【ペリリュー島の小学校でバドミントン教室やってくださいよ】
って冗談交じりに言ってました。
その時は冗談で受け止めてましたが
よくよく考えていくと、アリです。
定期的な交流と普及をTOTOSでアシストしていくことでバドミントンがちょっとでもパラオに根付いてくれそうな気がします。
バドミントンが根付くと健康づくりや健全な街づくりに寄与できます。
これまで交流事業として一人旅でフラフラ色々なところにいって私ばっかりが学んで北九州に帰ってました。
【地域を定めず色々な場所でバドミントン交流を】
それもいいとは思います。それはペースを落として実施するとして
【形に残そう】
定期的な交流事業を行うことで成果を形に残そう。そして次の世代にバトンタッチしたときにも受け継がれるように。
これが今回の学びというか旅の結論に達しました。
ただ、頻繁に行けるわけでもない。年に1回が限界です。
そんなペースで果たして成果が形になるのか、見えません。
だけど、こういった活動は長い時間をかけていけばいくほど成果が出るはずなのでそれを信じてやるのみですね。
あ、まだ決定させたわけではないので、色々と決意するには時間がかかりそうです。
でも、色々と情報をもらっています。
第2のマドンナであるヴァルデス。
日本語が少しできる彼女に現地では聞けなかったパラオのバドミントン事情をFacebookを通して色々と教えてもらってます。
海外のどこかの国でバドミントンで貢献したい思いは
昔から日本と縁があるパラオだと納得できるものがあります。
そういえばと、思い出したのがパラオって国を知ったきっかけ。
我が家の隣にバーで知り合った通称【サトミ先生】
青年海外協力隊でペリリュー島の小学校に赴任するってことを飲みながら熱く語っていました。
そのときは全くピンとこなかったのですが【パラオ人は太っているのが普通だから太ったらイヤだな】って話だけは覚えていました。
まさか、あれからこう繋がるとはw
サトミ先生とは赴任されてから連絡が途絶えましたが、どうしているかな。
もし、まだパラオに居たら会ってみたいですね。
今回の旅を考える。
まさかこんな展開を思いつくとは旅前には考えてもみなかったです。
何回も何回も客観的に【パラオへのバドミントン国際貢献事業】
頭の中でイメージして確認していったのですがピッタリとはまってます。
あとは自分の決意だけのようです。
もう少し時間をかけて実行できる方向に進めていきたいと思います。
今回の旅ブログは本当に長かったですね。最後までお付き合い頂きありがとうございました。
制作に8時間かかりましたwww
来週火曜日からは通常通りTOTOSは活動していきます。
日月は火曜日から通常通り活動するための事前活動をしていきますw
準備期間ですね。
パラオのこと。
なにか気になることなどございましたらお気軽にお尋ね頂けたら幸いです。
今後ともTOTOS北九州をどうぞよろしくお願い致します。